前向きに後向きでいこう


 今更ですが、ごっちんハロプロ卒業に関しての私感。


 私は、今回のこの件については、肯定とか否定とか、賛成とか反対とか、そういったことは思っていません。
 残念で悲しくてしょうがない、ただそれだけです。


 ではなぜ残念で悲しいのか。それは、ごっちんハロプロを卒業することによって、いままでのような「ハロプロ的娯楽」を享受できなくなるからです。この「ハロプロ的娯楽」とは、回数の多いコンサートや豊富なグッツ、写真などを指すかと思います。まぁ、グッツ類に関しては、最近そんなに必死でなくなったのでいいのですが、一番大きいのはコンサートで会える機会が、確実に減るだろう、もしかしたら無くなるかもしれない、という恐怖感が一番大きいです。
 私は今ではごまヲタもやっていますが、もともとごまヲタではありません。ごっちんが好きで擬似恋愛している、という押しというよりは(もちろんかわいいと思うし性格的には好きな女の子ではあるが)、ごっちんのコンサートの完成度の高いパフォーマンス(もしくはまだ完成度が低いツアーの初期からファイナルに向けてコンサートを作って仕上げていくその過程)と圧倒的な存在感に魅了されていままでコンサートに足を運んできました。
 もともとアップフロントはコンサート興行を中心にやってきたという歴史的経緯もあるらしいので、こんなにコンサートやツアーを打ち出してくることろというのはそんなにない、と聞いております。現在ではハロプロであれば、ほぼ年間1アーチストに1ツアーはありますからね(そうでないのもありますが)。他のアーチストなら、数年にツアーは1回だけというのも多いですよね。
 ごっちんハロプロを卒業するだけであってアップフロントには残る、ということですから、そうであればそんな心配はしなくてもいいのではないか?と思われるかもしれません。でも、卒業したあとの活動は「白紙」なのです。これがとても引っかかります。この白紙がどれくらいの期間なのか。たぶんだれも、ましてやごっちん本人にも、わからないでしょう。この引っ掛かりがとれない限り、私の悲しい気持ちはいつまでもとれないでしょう。またソロ活動が始まっても、どのような活動になるのか、それも全く見えません。マスコミでは市井さんの例をよく出してきますが、その当時と今とではとりまく環境が違いますしね。ハロモニ。なんかでも市井さん復帰で枠もあったし。その辺はあいまいでしたからね。今回は「ハロプロ卒業」とはっきりとうたっていますから、そんな曖昧な出方は一切ないでしょう。


 一縷の希望は「引退」ではなかったということ。これのみを信じて、これから細々と「その日」待つことにします。でも、それまで、というか新しい何か情報が入るまでは、この件については私はいつまでもシクシクと悲しんでいます。とりあえず、「その先」がわからないと、私の気持ちはどうやっても晴れないと思います。巡回してみると、皆さん前向きにとらえておりまして素晴らしいです。私も書こうと思えばかけますよ。「おめでとう」「ハロプロの枠を越えられる」「真のアーチストになれる」等等…。でもそれは(あくまで)私にとってはウワベの言葉となります。本心ではありません。やはりここでは、ソロから後藤真希を見つめてきたものとして、ウワベだけの言葉で飾るのではなくて自分の思っている心を書きたかったので、あえてこのように書きました。また「ごっちんに対する思いやりがない」とか「理由が自己中心的だ」とか思われる方もいらしゃるでしょう。これもこれで書けなくはないですが、やはり自分の心のうちを正直に書きたいと思ったので。


 スポーツ紙には「セクシー路線に不満を持っていた」云々の記事もありましたね。確かに、違和感はありましたけど、ごっちんは自身の戸惑いを凌駕するパフォーマンスとごっちんなりの解釈で私たちを魅了し、私もそれを受け入れ解釈しようとしておりました。去年のG-Emoでごま紺はちょっと…と思った方も少なくは無いと思いますが、もしかしたら彼女の戸惑いがファンにも伝わったのかもしれませんね。ハロプロから離れれば、セクシー路線からも離れるのでしょうから、あとはごっちんの考え描いていることを実現して、再びまた私たちの前に必ず戻ってきてほしいです。