恐るべし永平寺

 久しぶりにNHKの「家族に乾杯」をみました。福井県永平寺町後半でしたが、いつもにはない驚きの光景?が繰り広げられていましたよ。

その1 波多野義重の後裔

 ゲストの勝村政信さんが映画で永平寺をこの地に建立させた波多野義重の役をやったということで、義重のご子孫を探しに。ご自宅は前回でみつかったんですがあいにくお留守。そして今回ご対面となりました。しかし、鎌倉時代の武将の子孫がちゃんと続いているんだからねぇ。すごいね。番組では「本家」といっていたので一応直系なのかな?ご自宅は、門も立派だし自宅も昔の豪邸って感じだしお庭をすごい!ただ戦国武将としては越前で波多野氏ってきかないですよね。
 調べてみると、波多野氏は鎌倉時代神奈川県秦野市を本貫とした鎌倉武士で、藤原秀郷の玄孫が波多野氏を名乗った。だから由緒も正しい。それがだんだん中央(鎌倉)の権力闘争に敗れ地方領地に本拠地を移すこととなるそうだけど、波多野氏はさらに京に出て、六波羅探題で活躍したそうだ。このとき、波多野義重が道元和尚と出会い、和尚を領地の越前に迎え入れたそうだ。波多野氏はその後室町時代にも六波羅で活躍したみたいだが、江戸時代以降は調べられませんでした。でもVTRでみた波多野さんのご自宅の門構えや屋敷などが武家のとはちょっと違うみたいだし、今では田んぼをやっているということなので、江戸時代には京から旧領に戻って、土豪の有力者として庄屋かなにかをやっていたんじゃないでしょうかね。まぁ、永平寺町あたりが越前藩の領地かどうかはわかりませんが。
 仏壇にはえらくご立派な仏壇に義重公と道元和尚の木造がありました。義重公の命日には永平寺から直々にお坊さんがやってくるっていうものだから、こりゃすごいですよね! 

その2 立派な永平寺中学

 永平寺中学校。生徒たちは校門をでるとき、門の白線上に立ち校舎に向かって礼をしてから帰ります。しかもみんな。すげーよ!ってこんな中学生いまだにいるんですね〜!!
 もっと驚いたのが掃除の時間。掃除が始まると皆一斉に廊下に出て黙祷。その後掃除。私語はせず黙々と掃除。そして時間がくるとまた皆廊下に集まり黙祷。そして「お疲れ様でした」。いやー、奇跡の光景ですね。こんな光景まだ日本にあったんだ。しかしどこかでみた光景だなぁと思って思いをめぐらさせたら、そうだ、お寺の掃除だ!!と思ってみていたら、2年生には永平寺で1泊2日の合宿がありそこで掃除の心を学ぶ、というテロップが。なるほど、そういうことなんだね。生徒たちは全員がそうやっているから皆それがあたりまえだと思いそうやっちゃうんだよね。お寺の力ってすごいなぁ。日本中の中学校は永平寺中学に視察にいったらどうでしょうw