シャッフルユニット

 そもそもシャッフルユニットとは、2000年の初旬、大先生が突如「ハロー!プロジェクトのメンバーでうんぬんかんぬん…」と言い出し始まったものである。それぞれのグループに所属するメンバーを一旦バラバラにして再びユニットを組ませるなんて、当時としては奇想天外な発想であった(実際大先生が独断で考え付いたかどうかはおいといて)。


 時期としては、ちょうど恋ダンのレコーディングが終ったころであり、ラブマからの勢いの余韻がまだまだ十分にあった頃であった。


 それぞれのユニットのセンターには、安倍、後藤、市井が選ばれた。安倍は娘。のマザーシップ、後藤はスーパールーキー、そして何より画期的だったのは市井のセンター起用だった。ラブマからプッチ結成にかけて急成長し人気も急上昇中だった市井のこのポジションは、将来を嘱望されその試金石の第一歩となるものだったと考えてもよいだろう。


 レコーディングは困難を極めた。普段の仕事は本来のグループのままだったので、全員がそろうことは滅多に無いし、グループ外の人どうしでは上手く意思の伝達ができず、なかなか上手い具合に楽曲が一つにまとまっていかない。さらに後藤の歌うバラードでは、彼女が上手く詞の世界観を表現できず、悩んでいた。この詞を表現するには、彼女はまだ若すぎた。そして悩みすぎたあげく、発熱してしまう。


 そんな困難を極める中、楽曲のレコーディングがはなんとか終了した。これらのCDは、同日でバラバラに発売されることになり、各作品で売上を競わさせられた。黄色優性かとも思われたが、結果はおおよその予想通りあか色>黄色>青色の順だった。それでも、3曲の売上を合計すればミリオンになっていた。


 これら3ユニットの素晴らしさに酔いしれたファンは、次回作も強く望んでいた。しかし、ほどなく市井の卒業発表がある。これで、オリジナルメンバーでの3色ユニットの次回作は完全になくなった。


 それでもファンはあきらめなかった。次回作が夏前にリリースされ夏のハロコンで披露される、という噂もたった。また、いわゆる「ハワイスペシャル」で4期やメロンなども取り入れられた「拡大3色ユニット」ができたこともあり、これで次回作が作られるのか?という期待もあった(「拡大3色ユニット」は、結局は「ハワイスペシャル」のみの活動で終了してしまう)。


 そういう流れの中、2000年夏ハロコンを迎えることになる。当然、ハロコンにあわせての3色ユニットの新曲はもう期待できない。しかし、3色ユニットは、未だライブでは披露されてはいなかった(メンバーの構成から考えれば、そりゃそうだ)。ぜひとも3色ユニットはライブでやってもらいたいが、青色のセンターが不在である。やるのかやらないのか、できるかできないか、ファンの心は落ち着かなかった。


 幕を上げた夏ハロコンで青色のセンターを勤めたのは、4期辻だった。4期は3色ユニットのときはまだ加入していなかったが、タンポポに石川・加護が、プッチに吉澤が相次いで起用される中、4期でひとり娘。内ユニットには起用されず、悩んでいた。ファンもそんな辻の情況を憂いていた。そこに辻の青色センター起用の話である。辻は喜んだ。ファンも喜んだ。そして辻は市井にひけをとらない見事なステージングを見せてくれた。「これで3色ユニットはまだいけるぞ!」とファンは思った。


 その後、3色ユニットの新曲については、噂はしばしばたつけれど、正式リリースのアナウンスは全くなかった。そうこうしているうちに、T&Cボンバーが解散してしまい、コ娘。ダニエルも2001年を目前にしてハローから脱退してしまう。これでは青色はおろか、黄色もあか色も成り立たない。しかもあか色は4人しかいないのにこの時点で2人がいなくなった。


 年が明けて2001年正月ハロコン。それでも3色ユニットは披露された。4期残りと前田有紀が投入され、切り抜けた。この評判も上々だった。もうオリメンからだいぶいなくなった人たちが増えてしまったが、それでも再度3色ユニットの新曲リリースの期待が高まった。もしかしたら「あか・青・黄」は、人は変われどハロコンの中で代々受け継がれるものになるかもしれない、とも思われたりもした。そしてまことしやかな噂が飛び交った。3色ユニットの新曲にていて、曲名もCD番号も情報として流れた。後はそれが本当かどうかの問題だったが…結局は噂になった発売日になっても何も動きがなかった。発売直前までいっていたという話も聞くが、真相はわからない。


 3色ユニットがリリースして一年とちょっとがたったとき、今度は違う噂が飛び交った。今回は、3色ユニットではない別のユニットで新曲をリリースし、夏のハロコンでお披露目する…と。それが「三人祭・7人祭・10人祭」である。これは「あか・青・黄」の否定=シャッフルユニットにおける連続性の否定でもあった。これ以降、この形態は「シャッフルユニット」として恒例化し、2003年まで続くことになる。



 シャッフルユニットが今年復活しますね。正式アナウンスからだいぶ時間がたち、さまざまな方がいろいろおっしゃっていらっしゃいますが、巡回しているとだいぶお若いヲタさんたちも多くなったまぁという印象を受けたので、ここらで初期シャッフル(あか・青・黄)の動向についてまとめてみようかと思い書きました。なにぶん記憶を頼りに書きましたので、不正確なところもあると思いますが、そこのところは許してちょんまげ(古orz)。


 つまり、そもそもシャッフルユニットとは・・・