「なつふく」の流れⅡ

 昨日の続き。

 「なつふく」は実に構造的に作られています。「場面」の切り替えをスムーズにやる印象を与えるために、実は「場面」の最初と最後は、ほぼ以下のパターンになっています。

① 場面の始め、または終わりが被写体(こんこん)の近影ではなく、主に風景をとっている写真

 つまり、こういう写真↓

被写体が小さく、風景が大部分を占めている写真。
被写体が小さくわかりづらいことによって、「これからどういう写真がくるのだろう?」という期待をもたせる効果があり、場面の導入の働きを成している。これは見開きの写真。



これは「哲学の道で浴衣」*1の最初の写真。こんこんが右端に写っていることにより、こんこんが右手方向に「歩き去る」ような印象を与え、これから何かが始まるような感じを持たせる。


他に、

「八坂の道・ご飯つくり」の最初の写真。見開きではないが、やはり被写体が小さい。これは被写体が右より左のほうが大きいことにより、上と同じようにこれから何かが始まるような期待を持たせる。



「町屋を歩くこんこん」の最初も同様の構図。



「麦はらこんこん」の最初。1ページしかないが、やはり被写体が小さい。これも上記と同様に導入の役割を担っているのだろう。



この構図の写真は、場面の最後でも出てきます。



「麦わらこんこん」の最後の写真。これはわかりやすいですね。後ろを向いて空いて行っているので、場面の最後を暗示しているように思えます。



裏見開き。振り向き様ですね。



「空手こんこん」の最後。うつむきかげんの写真が、最後を暗示しています。



「お昼寝こんこん」の最後。これはいままでのものと違い変則的ですが、被写体より扇風機の方が大きいとこ、被写体が端にいることなどが場面の変換を暗示しているようだ。


 このような写真を効果的に使うことにより、場面の最初と最後をなんとなく明確化しているように思えるのです。

 そしてこの「場面の最初と最後を明確化」してる技は、もう一つ発見したのですが、それについては明日に引っ張っておきましょう!(またかよ!)

*1:以下、場面の題名は全て昨日の記事より