「サイリウム企画」の今昔

 さて、卒業つながりということで、今日は久しぶりの考えゴトを。先日のミキティひまわり企画の成功もありましたので、ハロプロ関係コンサートに特有な「サイリウム企画」を振り返り、その意味付けの変遷をちょっと考えてみたいと思います。
 「サイリウム企画」のことについては、長いごとヲタをやられている皆さんなら、もうわかりきっておられると思われますので、そのような方は読まなくて結構です。


実際は今回のようにサイリウムを使わないことも多いですが、このようなコンサートにおける統一規格のことを、ここではあえて「サイリウム企画」と呼ぶことにします。なお、この「サイリウム企画」についてははてなのキーワードにも登録されているのでそちらのほうも参考にしていただければと思います。

サイリウム企画」の始まり

これは、いわずもがな、「タンポポ祭」でしょう。2002年9月23日、横浜アリーナ後藤真希の卒業紺であり、そして2期タンポポ、2期プッチモニの最終ステージでもありありました。


見事に黄色に染まった初サイリウム祭:「タンポポ祭」。
川 T〜T)||<タンポポがいっぱいだよ〜!、はまさに名言でしたね。
でもよく見るとですね、結構他色のサイリウムもいっぱい見受けられるんですよね。かなり前からタンポポ祭については宣伝をしていたようですが、私は全く気付かなくて、タンポポ出演時に周りが次々と黄色になっていくのを見てあせりましたね。そのとき私はこの上の画像とちょうど反対側のスタンド席で、緑のサイリウムを振っていました。後ほど友人に「俺はタンポポの葉っぱになっていたよ」と言って苦笑されたことを覚えていますがw
まぁ、そんなことはいいとしてw、ここで注目したいことは、この「タンポポ祭」は、特定の人物についての卒業で行われてはいない、ということです。大きく意味をくくれば、タンポポの卒業、というふうにとれることもできますが、それはユニットへの対象であって、個人の対象ではない、ということです。このような意味づけとしてのサイリウム企画は、先にも後にもこれのみだと思われます。また、この後の2期プッチモニの最終ステージでもサイリウム企画があったようですが、これは失敗に終っています。
 ちなみにごっちんの卒業ステージでは、サイリウム企画は発生していません。

「赤い日記帳」の始まる直前。「タンポポ祭」の余韻からか、若干黄色が多めに見えなくも無いが、実際のところは統一されていない。

「卒業企画」としてのサイリウム

 このサイリウム祭がモーニング娘。メンバーの卒業企画として最初に行われたのが、保田圭の卒業時でした。このサイリウム祭が成功裏に終ったことで、「卒業=サイリウム祭」の図式が出来上がり、これ以降慣例化するわけですね。


ほぼ真っ赤に染まるSSA。「タンポポ祭」に比べれば、はるかに統一されています。

この「統一」の裏には、「タンポポ祭」でのヲタの学習があるでしょう。「タンポポ祭」にくしくも色が違うくて参加できなかった人々は、ネットを注視し、今度こそは参加しよう、と思ったはずです。っていうか、私がそうでしたw


何も知らずにステージから出てきて、会場中が真っ赤になているのを見て、ぽかーんと口を開ける麻琴(一番右)、びっくりして口を思わず押させるあいぼん(右から2番目)、思わず後まで確認してしまったなっち(その隣)、交信してしまう(いや違うと思うが)飯田さん。

この様子からみても、メンバーへの衝撃はすごかったでしょうね。

慣例化するサイリウム企画

以降は娘。メンバー卒業の度に、それぞれの押しヲタの皆さんが中心となってサイリウム祭が穴が開くことなく行われていくことになります。



なっち卒業時は横アリが真っ白に染まった、伝説のステージ。



飯田さんの卒業時は、サイリウムの色を途中で変える、という荒業を。これを成功させたヲタの団結力って、すごい。


梨華ちゃんのときの、ピンク祭。
あと、辻加護卒業もありますが、不肖私、手持ちの資料がないので(要はDVD買ってなかった)画像はありません…。

生誕祭の形成

 ところが最近は卒業の時に関わらず、いろいろな場面でサイリウム企画が打たれる場合がでてきました。特に最近では、先日のミキティのように、メンバーの誕生日を「生誕祭(もしくは聖誕祭とも)」と称してコンサート中に祝う風習が出てきました。これは、4,5年前にはなかったものですが、これはどうやって形成されていったものなのでしょう?


 生誕歳が行われるためには、コンサートと誕生日が合致する必要性があります。基本的にコンサートは休日に行われますので(まれに平日もありえますが)、土曜か日曜か祝日になります。誕生日が毎年日曜日になるというのはありえないので、そうすると、誕生日が祝日な場合はそこでコンサートが行われれば確実に生誕祭は行われるわけでして…そのようなメンバーはいるでしょうか?いますね。9月23日、ごっちんです。生誕祭のサイリウム企画は、ごま紺から始まったのではないか、と私は思っています(しかし、私は全てのハロプロのコンサートを行っているわけではないのでごっちん以外で先に行われている可能性もあると思われます。まっつーとか。そういうのをお知りな方がいらっしゃればご教授願います:あわせて、2003年9月23日のごま紺は福岡でした。このときサイリウム企画は行われたでしょうか?ご存知の方ご一報ください)。
 これがごま紺以外にも広がり、やがて娘。に「逆輸入」されて、現在のような娘。紺での生誕祭が確立してきたのだと思います。


 このように、「サイリウム企画」は何かの記念があったときに、その意味付けを変容しながら、すこしづつコンサートに根付いてきました。

サイリウム企画の主導権

 そこでたまに問題になるのが、誰が(もしくはどのグループが)企画をリードしてまとめていくか、という主導権の問題です。企画が一つだけしかない場合は統一されてやっていけるのでいいですが、企画が二つも三つも出た場合は、企画が共倒れになる危険性を孕みます。共倒れしちゃうと、結局は何もやらなかったことと同じになるわけですので、それじゃぁ、意味ありませんね。



でも、メロン紺はいつでもだれも何も言わなくてもサイリウム祭ですw


(もう眠くなったので続きがあれば次回に…。なんかもう眠いw)