Nスペ 「大化改新 隠された真相」

 すげー。


 唐の侵略をおそれ、百済の首都扶余をモデルにして飛鳥を要塞化し、それと同時に遣唐使を派遣し唐との融和政策も推し進めた開明的な考えを持っていた蘇我入鹿
 しかしとれとは全く反対の考えで、保守的な考えだった中大兄皇子が、入鹿の政策を良く思っていなかったので、入鹿を暗殺してしまう。
 入鹿暗殺後は、飛鳥に奇妙な建物を建て飛鳥の守りはほとんど行わず、唐に滅ぼされた百済の王をかくまい、唐に対しては強気な政策を推し進めた、入鹿とは間逆の政策をとった中大兄皇子
 その唐への強気の政策が、白村江の戦につながり、倭国は大敗北を喫する。
 これを機に、飛鳥をはじめ西日本全体に要塞を次々と建設し、唐の体制を真似た律令国家へと進んでいく…。


 最新の飛鳥での発掘調査から、こんな筋書きがかんがえられるそうです。もしこれが本当ならば、学校で習っていた日本史の大化の改新前後の政治史の内容が、いままでと全く違うくなるわけで。


 学生時代、歴史を勉強したときに、大化の改新律令の制定の時期が中途半端に空いていたので、そこに昔から違和感というか疑問というのは少なからずもっていたのですが、もしこれが本当だとすると、流れ的にはすっきりしますね。


 そして、日本書紀の「入鹿逆賊」の汚名は、この次世代(藤原不比等ら)によって作られた可能性があると。こういうことはよくある話ですけどね。


 番組の最後に、橿原市にある「入鹿神社」の紹介がありました。蘇我入鹿を祭っているそうです。戦前には、逆賊入鹿が本尊ということで、軍部から社名の変更や本尊の変更などの圧力が相当あったらしいけど、村の人々が必死に守って、現在でも地域の人々の信仰はあついみたい。このような事実があるということは、入鹿の実際の人物像は想像に難くは無いですね。