ナイトスクープ

 ビデオに撮り溜めをしていたのを今日見たのですが、多分先週の放送のものだと思うのですが、えらく感動したものがありました。


 依頼主は70歳の大阪にすんでいる男性で、娘さんがアメリカにいて、その娘さんの知人のアメリカ人の方が身内の方の遺品を整理していたとき、日本人が写っている古いアルバムを見つけたのでなんとか返してほしいとそのアルバムが送られてきたそうで、その持ち主を捜してほしいという依頼でした。その知人のアメリカ人の身内の方は、以前沖縄の病院に勤めていたことがあり、恐らくそこで手に入れたのではないかということでした。探偵は北野誠
 アルバムの写真は昭和14年頃のものらしくご主人と思われる方の仕事の様子の写真が写っていました。小学生の集合写真などがあったので、ご主人は小学校の先生ではなかったのか?ということでアルバムをめくってみると、「奥津」という地名が。またご主人の奥さんや息子さん(長男・次男)も写っていました。手がかりは、「奥津」とアルバムに書き込まれていたご主人の苗字と長男さん・次男さんの名前だけ。
 さて、「奥津」とはどこなのか?アルバムを手に入れたであろう沖縄には「奥津」という地名はなく、依頼者の奥さんが「なんか岡山にあったような…」の一言で岡山県の地図をみると、ありました「奥津温泉」の文字が。さらにそこに戦前の「奥津尋常小学校」があったこともわかり、まずは岡山県の奥津へ。
 奥津についた一行、アルバムに写っていた山の風景が奥津尋常小学校跡からみた風景と一致し、この場所に間違いないと確信する。その後地元の教育委員会へ。このご主人のことを捜してもらうと、記録が残っていて、名前までわかりました。しかし、このご主人は昭和14年に沖縄県から出向していたそうで、昭和15年3月には奥津を離れ別の岡山県の小学校に転勤されたようで、奥津での足取りはここまで。出向だから、沖縄県に帰っているはずなので、あとは沖縄に行かないとその後はわからないだろうとの話でした。そこで今度は沖縄へ。
 沖縄での調査。教育庁で調べてもらったが、戦前の記録は戦争で焼けたのでてがかりになるものは一切なし。「でも親が教員ですと子供も教員になっていること多いんじゃない」という誠探偵のひらめきで、こんどはご主人の長男さん・次男さんが教員になっていなかったかどうかを捜してもらうことに(名前はアルバムからわかっている)。すると、長男さんが平成5年に校長先生をやっていたことがわかりました。喜ぶ一同!早速連絡をとってもらうことに。ところが長男さん、また次男さんまでもすでにお亡くなりになっていたとのことで落胆するが、実はアルバムに写ってはいない三男さんがいたということで、その方とお会いすることに。
 ということで、三男さんとご対面。三男さんは父親にあたるご主人のアルバムを見て「写真の顔とよく似ている」と。実はこのご主人は昭和15年にお亡くなりになっていて、三男さんはその半年後に生まれたということでした。だから三男さんはこのご主人さんの顔は直接はみたことがないのですね。そして残っているのが唯一葬儀用の写真のみしかないとのこと。三男さんはよく三男さんのお母さん(写真にも写っていたご主人の奥さん)に「うちには大切なアルバムがあってねぇ…」ということをことあるごとによく言っていたそうで、三男さんはこのアルバムを見たときピーンときたそうです。最後に仏壇に手を追わせる依頼者。そしてご主人・奥さん・長男さんが一緒に写っている写真がぬかれ、真ん中に「おかえりなさい」の文字が出て、VTRエンド。
 VTR後の誠探偵談。実はこの奥さんが大変長生きなさっていて、1年半位前まで生きておられたそうで、ずっとアルバムのことは話されていたそうだ。ご主人は病気をしてしまい昭和15年出向中にお亡くなりになったらしく、その後家族が沖縄に戻ってきたそうだ。戦時中、防空壕に逃げていたとき、奥さんはこのアルバムだけを持って防空壕に隠れていたのだけれども、米軍がやってきてしまったので、両手を挙げて防空壕から出て行ったとき、このアルバムを防空壕に置いていってしまい、以来行方不明になったとのこと。恐らくこのアルバムがその後米兵の手に渡り、その後いろいろな変遷を経てその知人のアメリカ人の身内の方にいったのではないかということでした。


 まぁ、文字で読んでもそんなものか、と思うでしょうが、実際VTRを見たら感動しましたねぇ。もう感動で3回も見返しましたよ。戦争というものはこういうところにも容赦なく入ってくるんだなぁ、とつくづくおもいました。そして、めぐりめぐって元のところに返ってきて、本当に良かったとおもいました。これは一個人ではできないですよねぇ。テレビの力を最大に利用したいい内容だったと思いました。