居館探訪

 久しぶりの居館探訪に行ってきました。今日の目的地は、江刺の北のほう、「野手崎」ということろ。どこにあるでしょう?実は地図には載っていないんです。

黒石寺薬師堂


 その前にちょっと寄り道。通り道に看板があったので寄ってみることにしました。東奥の奇祭、「蘇民祭」で一躍有名になりましたね。お祭りのない黒石寺はとっても静かでのどかなところでした。



 黒石寺の門前に「リl|*´∀`l|さん」発見! 紺アモさんメンズさんはぜひ訪れては?w

小梁川館跡 伊達家御一家小梁川家居館跡(所拝領:江刺郡野手崎村〔現奥州市江刺区梁川〕)


 小梁川氏は伊達家十一世持宗(おなじみの政宗は十七世)三男中務少輔盛宗が祖。政宗の時代に泥蟠斎盛宗が活躍。その孫宗影が野手先村を拝領する。一時嗣子がなく断絶するが、後に再興する。
 野手崎は明治の大合併で周辺の村と合併し「梁川村」となり(村名の由来はもちろん野手崎村を領していた小梁川氏にちなむ)、それが昭和の大合併で「江刺市梁川」になってしまったので「野手崎」の地名は大字レベルではなくなりました。バス停も小学校も「梁川」。唯一郵便局だけが「野手崎郵便局」と名乗っていました。町場の雰囲気は上口内と似ていましたが、野手崎が「所」である分、規模は小さかったです。ただし、居館跡は山城で、要害に匹敵するくらいの規模でした。所とはいえ、さすが仙台藩の北境を守るにふさわしいものだと感心しました。写真は居館への入り口、「大名小路」と呼ばれた通りです。そこを登りきると一軒の民家が見え、さらに登っていくと高屋屋敷跡(小梁川氏断絶時に拝領していた西大立目氏の居館跡)、大手跡を通って、小梁川館跡まで到達できます。ただ肝心の居館跡には何も標柱などはなく、恐らく礎石で使われたのであろう巨石が二、三個ごろっとあるぐらいでした。居館跡の山は荒れ放題、標柱は行政ではなく地元の有志の方々が建てた感じでした。うーむ、もったいないなぁ…。


 その後、江刺の街に戻り、岩谷堂要害を探しに。一応岩谷堂城の本丸跡である館山公園までには行ったのですが、写真を撮り損ね帰ってきました…。公演の一段下には岩谷堂高校のグランドがあったのですが、どうやらそこが藩政時代の岩谷堂伊達(岩城)氏の居館跡(二の丸)みたいでした。再度訪問しようと思います。岩谷堂城の範囲は、館山公園の本丸と、岩谷堂高校のグラウンド(二の丸)、その下の岩谷堂小学校(三の丸もしくは外郭らしい)までで、実際行ってみるとかなりの大きさの城郭でした。一門とはいえ、五千石の岩谷堂伊達氏にとっては、ちょっと規模が大きいのではないかと思いましたが、どうなんでしょうかね…。