香水

 数日前に、ヲワティさん(id:owarenai)から「香水」についてトラバをいただきまして、コメントで返すのはちょっと足りなくなるかなと思い、時間があるときに改めて記事で書こうと思っていました。
 で、その「香水」。夏ハロ紺でれいなが歌ったそうですが、

つまり切なくて危うい乙女心が、同じく未熟な危ういボーカルで歌い上げられていたからこそ、その歌が真に迫るモノとなって伝わってきてたとゆ〜か。 あ〜コレってメロンヲタじゃないと分かってもらえないかな〜w ホッタさんとかww

 あー、そういうふうに意識して聞いてはこなかったですが、こういう考えは一理あると思いますし、気持ちもよくわかりますね。
 「香水」はアレンジがかなりうすっぺらに作っているので(その「うすっぺらさ」も曲の「せつなさ」につながっていると思うのですが)、逆にどっか抜けていたりすると、真にせまる云々以前にまず「曲」自体が成立しなくなります。そこを危うくもなんとか空けることなく最後まで歌いつなげることによって、それは成立するでしょう。まさしく「せつなさと揺れる乙女心」。
 でもそれが成立するのはやはり歌い手が歌う初期の「一過性」のものであって、やっぱり音楽なのだから、最終的にはそこを突き抜けなければいけないと思うのです。それには歌がうまくなる、ということもありますが、プラスアルファというものもかなり重要になります。そこを獲得したからこその今のしばちゃんの「香水」があると思います。
 でもれいなの場合は、しばちゃんと違ってそういった歴史や背景がなくいきなりのボーカルです。さてそこでしばちゃんの「香水」があるのだから、れいなはこの「香水」はどのように表現すればいいのか…、ここが問題になると思います。れいなはれいなで歌は確かにうまく、今回もそつなくまとめてきたと思うのですが、それ以上が無かったんじゃないんでしょうか。だから、れいなの場合は、例えば「ボーカルの危うさ」ということを、歌が上手いれいなが何か別なことで表現しないと、それ以上のものは伝わっていきにくくなるでしょう。「下手に歌う」というのはまた違うことですしw れいなのボーカルは、全般的にそこが足りないんですよね。今一歩というのが。その点をもって研究してほしいなぁ、と私は押しだからこそ常々思っています。愛ちゃんと歌うとその差は歴然とするからなぁ…。