鳩の日上州歴史探訪〜その2〜
その1の続きです。
館林から、一路太田市世良田というところに向かいました。
ここには何があるのか???
徳川氏は源氏を称していますが、それは鎌倉時代に源氏新田氏系の世良田氏から分かれた得川氏を祖としているためです。その世良田氏の本拠地となったのが、大田市世良田町(平成の大合併前は群馬県新田郡尾島町)で、一応「徳川氏発祥の地」を謳っております。世良田町の隣には「徳川町」もあります。
世良田
世良田駅
館林から伊勢崎線を下り、太田で乗り換え。太田からはワンマン電車。私鉄にもワンマンってあったのね。そして程なくして到着。
駅は基本的に無人駅なのですが、この日は臨時に駅員さんがいました(でも帰るときにはもういませんでした)。東北の片田舎にあるようなこじんまりとした駅です。降りたのは、私と、買ってきた電化製品を持っていた中国系と思われる男女グループ数人。群馬東部は工事が多いので、出稼ぎの外人さんが多いのだなぁ、と思いました。そういえば、近くの大泉町は「ブラジルの町」として有名だったっけ。
ここから目的地「世良田東照宮」までは歩いて20分。貸し自転車もあったのですが、店には誰もいなかったので、田んぼの中をひたすら歩くことにしました。なんか風景が東北と一緒でしたね〜。
世良田東照宮
300円を払うと中に入って間近に見ることができます。上の写真が拝殿(国重文)で日光東照宮から移築されたもの。下の写真は本殿(国重文)。しかし300円払ってこれらがみれたのはとてもお得感がありましたね!あっぱれ!って感じでした。あと宝物館というかちょっとした資料館もありました。
ちなみに徳川氏が新田氏系世良田氏の末裔であることは史実としては正しくありません。でもそれを言ったら徳川氏自体が成り立たなくなってしまいますからね(^-^; 実際のところは松平親氏以前は不明であり、親氏が実質的な松平氏の祖となります。
世良田氏は、新田義重の四男義季が世良田郷を譲り受け、義季が世良田氏を名乗り成立します。そして義季は子の頼有に得川郷を譲り、頼有が得川氏を名乗ることになる。また義季は、隣にある長楽寺を開山したとも言われ、実質的に徳川氏の祖とみなされている。よって、義季は、世良田では「徳川義季」と呼ばれている。
そういった事情があり、三代将軍家光は、世良田の地にも東照宮を建てたといいいます。
…かといって、義季の遺構というものは、皆無なのですね。世良田地方はやがて後北条氏の勢力下に入り、長楽寺も後北条氏の下で繁栄していきますので新田氏−世良田氏をしのぶ物は、長楽寺にあるお墓ぐらいしかないんですよね…。
ちなみに、七代将軍家継は元服前「世良田鍋松」と名乗っていたこと。理由ははっきりしていませんが、江戸時代では、世良田姓は徳川姓につながる特別な姓とみなされていたのでしょうね。
東毛歴史資料館
世良田東照宮の南に隣接しています。県立ではなく「東毛広域市町村圏振興整備組合立」という珍しい?ところが建てている施設。でもそのおかげで東毛地方に限っての歴史資料に触れることができてよかったです。私が行った時は近所のガキどもがやりたい放題暴れまくっていました(^-^;
伊勢崎
伊勢崎駅。線名にも由来する東武伊勢崎線の北のターミナル駅なだけに、そざかしにぎわっているんだろうなと思いきや、駅はJRで管理。東武はホームがあるのみ。改札は簡易PASMOが置かれているのみ。東武の北のターミナルにしては寂しいのでないの(T-T)ちなみに伊勢崎といったら「伊勢崎オート」ぐらいしかおもいつかないなぁ…。
伊勢崎線のホーム。どんつまりの島式2ホーム5・6番のみ。実質的な東武の北のターミナルは新伊勢崎駅になるのかなぁ。
ここでモバイルSuicaでJRの改札を出たらなんと3000円ひかれていました!世良田〜伊勢崎は200円ちょっとしかかからないはずなのに!あわてて駅員さんに事情を話したら、東武線の簡易改札できちんとSuicaにあてないと、JR側の改札で北千住経由の計算になってしまうとのこと。計算してもらったらきっちり北千住経由になっていました。たしかに、簡易改札に触れたときはなんか怪しかった感じがしたのですが確認しないまま出て行ってしまいました…。伊勢崎駅の駅員さんでは値段訂正ができなかったので、現金で返してもらいました。みんなも、伊勢崎線でSuicaで降りるときは気をつけようね!!
伊勢崎では乗り換えの時間で30分以上あったので、駅の立ち食いでうどんを食べて両毛線に乗り込みました。この後ホームに行くと、列車待ちの高校生であふれかえっていました…。「ぐんま総文」のあおりです。