娘。紺の一体感

 「燃えろ!番組制作部」さんのこちらの記事を読んで感じたこと。


 私は娘。を見続けて、はや6年目に突入しますが、あぁもう娘。もダメかな、と思ってしまったツアーがありました。おととしの、秋紺。かおりんが抜ける前の娘。単独紺です。実際行ったのは、横アリ公演のみでしたが、なんか会場中の雰囲気が、それまでの惰性を引きずっている感じで、なんとなくバラバラの感じがしました。


 それがやがてかおりんの卒業に向かって、何だか知らない空気がかおりんの卒業という目標に、メンバーもヲタを収束されていきました。そしてほどなくして、やぐちの脱退、梨華ちゃんの卒業。気がつけば、娘。は56期中心体制へと移行していました。あの黄金時代を支えた1〜3期の姿はすでになく、4期はよっすぃのみ。そして7期こはの加入。


 これをみて、昔からの娘。ファンの皆さんからは「もう、そこに娘。はいない」とおっしゃっていた人がだいぶいました。だから、今の娘。は娘。だけど、娘。ではないのだと。


 でも、今の娘。には、往時の娘。にはない何かがあることは、今の娘。をみている方々なら気付いていらっしゃるでしょう。


 やはり一番大きかったのは、かおりん、やぐち、梨華ちゃんという黄金時代を支えた柱となるメンバーが矢継ぎ早にいなくなったことでしょうか。これによって、かおりん卒業にむかって収束していた雰囲気が、一気に梨華ちゃん卒業時まで持続することができた。


 そして、この相次ぐ卒業劇は、ヲタの中も変えていったと思うのです。卒業メンの押しヲタもいなくなった。残った娘。ヲタは、それまであまり日の目を見ることができなかった、56期ヲタが中心となりました。これって、非常に重要な意味があると思うのです。


 4期までのヲタは、どちらかといえば、なちヲタがいて、あいぼんヲタがいて、ののヲタがいて…、というようにヲタの皆さんがそれぞれ推しメンを中心に捉えていたように思えるのです。その背景には、「モーニング娘。Hello!Project」という構図があったからだと思います。例えば、なっちを推すということは、同時に娘。を推すことでもあり、ハロプロを推すこともありえたのです。


 ところが、現在のハロプロは、それぞれのソロありベリあり美勇伝やWといった細分化がなされています。もう、「モーニング娘。Hello!Project」ではなく、モーニング娘。ハロプロの1ユニットでしかない状況になってしまっています(とはいってもその占める割合は相変わらず高いと言えますが)。そういった場合、娘。紺に行く皆さんって、どういう皆さんでしょうか。まず何より、「モーニング娘。が好き」な皆さんが集まっているのではないかと。娘。が好きでなければ、あやややべりやなっちやごっちんなどのコンサートに行けばいいのであって、娘。紺に行く必然性がない。今の娘。ヲタは、やっぱり娘。好きが集まっているんだと、現場に行くとその雰囲気をまざまざと感じることができます。会場には、ヲタの「娘。好き感」にあふれています。だから、あれまで一体のステージができるのではないのかと思うのです。だからこのことは、裏を返せば、娘。がハロプロそのものではなくなったという状況を物語っているものでもあるとも言えますが。もちろん、娘。紺の一体感はそれだけの要素しかないわけではないですけどね。