やぐちヲタとしての私


 自分で「ヲタ」と自覚して活動をし始めたのは、押しがやぐちに変わったときからかなと今考えればそう思います。圭ちゃんのときは、押してはいたけど、写真とかグッツとかは特別気になっていなかったし(ただしこの時はまだハロショもなかったしグッツも個人的なものはなかったし)。
 でもやぐちの写真を買い集め、やぐちのグッツを買って、やぐちのバッタ物も買ってはいたのですが、なぜが自分でもわからない何か「腑に落ちないこと」があったんですね。自分でもわからないので、解決の糸口を見出すことができなかったので、それはそれとしてひとまず置いといて、そのままやぐちヲタとして活動していました。確かにやぐちは押せたし、可愛かったし、そのころ一番先に視線がいくのがやぐちだった。
 あるとき、このころ知り合ったヲタ友達さんが(もうヲタは辞めてしまっていますが)、日記の中で「アイドルを”押す”ということは、”擬似恋愛”である」というようなことが書いてありました。この文章を読んで、私はピンとはきませんでした。擬似恋愛って何だ?
 つまり、ピンとはこなかったのは、当時私は「矢口真里」に対してはこの擬似恋愛感情は持っていなかったのですね。彼女にしたいとか付き合いたいとかそういうことは思っていませんでした。でも、好きで押していました。じゃあ、私は、何が原動力となって「矢口真里」を押しているんだ?「矢口真里」のどこが好きなんだ?ということになるんですが、自分の心の中の問題なので自分が一番分かっているはずなのに、どうしてもその答えが見出せませんでした。つまり「擬似恋愛」でないところで押しているというなんとも説明しがたい状態。その訳をいろいろとこじつけて考えては見てみたのですが、どれもすっきりした答えにはなっていませんでした。


 その問題がわかるときがやってきました。
 2002年9月23日。ごっちんの誕生日にして、ごっちんの卒業紺のときです。
 このときは、ごっちんの卒業と同時に、2期タンポポ、2期プッチモニの最後のときでもありました。
 忘れもしない、「タンポポ祭」。(ただし私はこのときネットをあまりしていなかったのでこの情報を知ることができず、当日は持ち合わせた緑のサイリウムでの「タンポポ祭」となってしまいました。タンポポの花にはなれなかったけど、葉っぱとして参加しましたw)
 ところが、これ以降、私のやぐちに対する関心は急速に無くなっていってしまいます。それでも半年くらいは公称やぐち押しとして通していましたが、心の中では「明らかに違うな」と思っていました。しかし原因は最初は分かりませんでした。
 しばらくたったあるとき、部屋の中を整理していると、ふと目に留まった「恋しちゃ」のジャケット。それに写っていたやぐち。やぐちいいじゃん、と思った瞬間、これか!と思いました。
 つまり私は「モーニング娘。矢口真里」を押していたのではなくて「タンポポ矢口真里」を押していたわけです。しかもそれは意識の下のレベルの心理状態で(いわゆる深層心理ってやつですか!)。実在としての「矢口真里」はモーニング娘。だろうがタンポポだろうが一緒なので、写真を買ったり一番先にみたりはしていたのですが、それが「モーニング娘。矢口真里」であれば、「タンポポ矢口真里」ではないので、意識の下のレベルでは完全には押せなかったのではないか。それが自分でもわからない「腑に落ちないこと」として違和感を持っていたのではないかな、と。擬似恋愛感情がもてなかったのも、同様な理由で。確かに、2期タンポポのやぐちのジャケ写はいつも皆いいなぁと思っていたし、コンサートのときは、タンポポで出てきたときはいつもハァ━━━━━━;´Д`━━━━━━ン!!!!していたな。やっぱり自力でいった一番最初の湯沢の「乙パス」の印象が強くてそれが私の深層心理に刷り込まれていったのか。


 今日のは非常に分かりづらかったと思いますが、こんなこともあるんですよ(^-^;
 これ以降私はやぐちから遠ざかると共に、娘。からも気持ちが少しずつ遠ざかっていきます。
 もしその現状が変わらなければ、私はすでにヲタ卒をしていたかもしれまんが、いやいや、また娘。に戻ってくるあるきっかけがあったのですね!
 そして、ここからが本題です。今までは次回以降を書くための前振りでしたww ということで、次回を待て!!