栗原探訪

 今日は、栗原市に行って、江戸時代仙台藩の上級家臣の在郷屋敷のあったところ(所とか在所とか呼ばれる)巡りをしてきました。


 
 ※本文内、仙台藩に関わる専門用語がかなり出てきます。なんだかなー、と思われる方は読み飛ばしてください。



滝野館跡(伊達家永代着座一番坐遠藤家在郷屋敷:所拝領 栗原郡川口村〔現栗原市一迫川口〕)


 今回行きたかったところがここ。「川口」と聞いてどこ?なのかわからなかったのでそれを確かめたく行きました。地図はあったのですが何十万分の一というかなり大雑把なスケールのものしかかなったので、勘を頼りに国道からそれらしき路地を曲がりなんとなく道を進んで行ったらありました。我ながらすごいなとw ところがこの時天気が急変し吹雪になったので写真は車内から。案内板もあったのでそれは車から出て撮ったのですが、この1時間前は暖かくポカポカ陽気だったのに、ダウン着ても凍えるような寒さでした…。川口の町場は想像以上に大きかったなぁ、さすが「所」。知る人ぞ知る「川口納豆」はここの近辺で作られています。


真坂館跡(伊達家御一門白河家在郷屋敷:所拝領 栗原郡真坂村〔現栗原市一迫真坂〕)


 白河氏とは、中世仙道に威勢を振るった結城白河氏の後裔です。真坂は白河氏の知行地であることは前から知ってましたが、その居館跡がどこにあるのかは全然見当がつきませんでした。町内うろうろしても見つからず、たまたま見つけた「一迫ふれあいセンター」の中に図書館があったのでそこで一迫町史などをめくり、真坂の北にある龍雲寺という寺の山の西麓にあるということと、居館跡の地名が「川内」ということだけを頼りに一路龍雲寺へ。この龍雲寺自体も真坂館跡なんですが、こちらは中世の館跡なので違うのですね。この寺の山の西麓にでる道を探しに車を走らせると、やがて「川内」と書いてある矢印案内板を発見、その小道を進むとやっとみつけました。この居館跡の下の川内の集落は、ちょっとした武家地っぽい町割りも残っていて、さすが白河氏だなぁ、と思いました。町の案内板などには真坂館の東方にある姫松館跡の方がクローズアップされていますが、こちらは中世の館跡です。


葦名氏居館跡(伊達家準御一家葦名家在郷屋敷:在所拝領 栗原郡石越村〔現登米市石越町〕)


 石越が葦名家の在所拝領地、ということはだいぶ前からわかっていたけど、それがどこなのかはわからなくて、以前石越の中心を走る剣道沿いで探したことがあったのですが、わからなかったのです。その後、石越町史を読んでいるうちに、葦名氏の居館の拝領地は石越の町の中央部ではなく、JR石越駅の北の岩手県境の近くの「小谷地」という集落であることがわかり、行ってみることにしました。居館跡は神社の境内にあるというところまでつかんでいたのですが、道路沿いにはなく、車を置いて集落内を歩いてやっと見つけました。在所拝領の場合は、所拝領と違って町場の拝領がないので、在所拝領地自体がどこにあるのかがわかりにくいですね(普通の住宅地と同化してしまっているので)。ここも在所拝領といいながら町の端っこだしねぇ。ちなみに石越は江戸時代は栗原郡でした。また標柱には「葦名在所跡」とありますが、藩政時代には「○○在所」という表記はありませんでした。後世の通称ですね。


塩森兵庫邸跡(伊達家御一家塩森家在郷屋敷 栗原郡若柳村〔現栗原市若柳〕)



 ここもどこにあるのかなぁ、と前から探していたところなんですけど、何のことはない、若柳大橋を南に渡ったところでした。今はこの邸跡の中央を若柳大橋を通る道路で真っ二つに別れてしまってます…。商工会側の曲がりくねった松がかろうじて往時を忍ばせてくれます。(上の画像は道路の東側・商工会内の敷地、下の画像が某医院前にある標柱でその近くに小さな神社があるのですが、これは旧邸宅内にあったものか?)



 なんだかんだで結構収穫の多かった探訪でした。