一関探訪

 今日は、宮城との県境、一関方面へ行ってきました。

米谷城跡 伊達家准御一家高泉家居館跡(所拝領:登米郡米谷村〔現登米市東和町米谷〕)


一関方面へ向かう途中、発見。米谷工高の近くだということはわかっていたのだけれども、その高校自体ではなさそうだし、わからないから向かっちゃえと思い車を走らせたら、なんかそれらしき標柱を発見、もしやと思ったらやはりでした。説明書きによると、明治維新後政府に接収されたが、その後、高泉家に払い下げられたということで、今でも宅地らしいものが石垣の上にあるのでご子孫が住んでいらっしゃるのかな。ちなみに高泉家は中世大崎氏の家臣で元々今の栗原市高清水に居ましたが、大崎氏滅亡後は伊達家臣下となり、米谷の地に落ち着いたのでした。

本日の目的地

 実は本日の目的地は、岩手県藤沢町で、ここでの所拝領:奥山氏居館跡を探したかったのですが、その手がかりとなる「藤沢城跡」がどうしても見つからず(その前に詳しい資料を自宅近くの図書館で調べようと思ったら誰かに貸し出されていたorz)、結局見つかりませんでした。藤沢はこの地方唯一平成の大合併で「一関市」に参加せず独自路線を突っ走っているみたいですが、はにわをフーチャーしてるらしく、商店街の店先にちょこちょことはにわが飾ってあるのが、なんとも…でした。はにわもいいですが、もっといい資源があるように思えるんですがね。
 まぁ、見つからなかったので、まだ昼前だったので、一関の街に出てそばでもたべようかな、と思い、藤沢→黄海(きのみ:ここも後日詳しく調べたい場所)→日形(恐らく仙台城下の日形町〔新伝馬町→今のクリスロード〕の元になっている集落)→花泉→一関へ。しかしお目当てのお蕎麦屋さんは定休日で(調べていけって)、街をぶらぶらしていたらじゃじゃ麺屋を発見、そこでじゃじゃ麺を食べてきました。そして帰路へ。

笠原城跡 伊達家永代着坐二番坐笠原家居館跡(所拝領:登米郡石森村〔現登米市中田町石森〕)


 所拝領の在郷屋敷にしてはお濠まで残っているなんて珍しい。
 こちらは、帰り道、寄り道をしようとしているうちに道に迷って、たまたま前に走っていた車の通りについていったら見つかった、というラッキーなできごとでした。笠原氏も中世大崎氏の家臣で元々は加美町宮崎に居て、大崎氏家臣の中では氏家氏(岩出山城主)の「氏家党」と並ぶ「笠原党」という二大勢力の一つを作っていたのですが、これまた大崎氏滅亡後伊達家臣下となり、最終的には登米郡石森の地を拝領することになりました。南側には石森小学校があります。ちなみに地名の読みは「いしのもり」。そう、漫画家の故石ノ森章太郎氏の出身地でもあります。


今回の探訪は、最大の目的は達成されませんでしたが、行きと帰りで二つの居館跡をたまたま見つけることができたので、その点ではラッキーでしたね(^-^)