東磐井探訪

 さて、昨日までの悪天候も今日は晴れ、界隈の皆さんもいろいろ移動されていたので、私もいつものごとく居館探訪へと旅立ちましたが、今日は失敗の連続でした…。

黄海東磐井郡藤沢町

 ということでまた黄海に行きましたよ〜、ねす♂さん(^-^)
 黄海に知行地を拝領していた坂氏の居館跡を訪ねる予定でしたが、メモしたはずの資料がなく…。また行かないといけないな。



旧曲田小学校に咲いてあった桜。お見事!!



黄海農村公園内にあった「黄海の戦い」の記念の碑?なのかな。「贈河北新報社」とありました。



同じく黄海農村公園にあった「坂英力顕彰碑」。坂英力は幕末の仙台藩奉行職(他藩でいう家老)で藩内佐幕派の中心人物でした。戊辰戦争時に新政府軍に捕らえられ処刑されてしまいます。その坂氏の知行地が黄海だったのでその由縁で建てられたみたいです。



黄海小学校の桜並木。「黄海の戦い」ではこのへんで戦ったらしいですね。

藤沢城(東磐井郡藤沢町


やっと見つけました藤沢城館山公園。しかし公園とは名ばかりで、もう草ぼうぼうの荒れ放題!案内板にある「○○広場」なんてただのジャングルと化してましたよorz



本丸付近にある案内板ですが、案内板自体が支えから崩れ落ちて地面にうつぶせになっていたという始末。これはひどいなぁ。私が起こしてパチリ。一応そのままにしてきたけど、保存を考えれば伏せていたほうがよかったのかな…。
 ちなみにここは中世葛西時代の岩淵氏の居城の藤沢城。近世所拝領になる奥山氏の居館跡は、この東側斜面ということらしい。一応めぼしをつけて写真は撮ってきたけど、資料を見てどこかを検討しなければいけませんのでここでは割愛。

大原城(一関市大東町


田手館跡。伊達吉村公誕生の地。近世の大原の仙台藩家臣の居館跡はここかな、と思っていたらどうもそうではないみない…。ここもまた行かないとorz



大原城址案内板。中世葛西時代の千葉大原氏の居城。さきほどの田手館跡からみると、遺構がくっきりとみえて素晴らしいです。



本丸跡に残る銀杏↑は当時からあるものらしいです。



本丸跡からみた大原の街並み。

内館跡(一関市東山町松川)


近世の松川は猪苗代氏→松前氏の知行地でしたが、こちらは中世葛西時代のお城。縄張りがほぼ残っていて中世城マニアの方ならたまらないかも。松川の居館についてはまだ詳しく調べていなかったので、これからですね。

河崎の柵(擬定地)(一関市川崎町門崎)


千年も前のことですからどことは特定するのが難しいのですが、まぁここをはじめとしてだいたいこのへん、といった感じのところでしょうか。

薄衣の街並み(一関市川崎町薄衣)


明治時代には北上川での運送で栄え「東北の横浜」と呼ばれていたそうです。江戸時代には泉田氏他の在郷屋敷がありましたが今回は時間がなかったのでパス。


この後、一関に出てそのまま帰りました。
今回は思い過ごしや勘違いがあって思うようにはいかなかったですが、概略はつかめたのでまた訪ねていきたいと思います。