田舎者が見た六本木の話

 さて、先週末STBに六本木まで行きました。六本木には何度かいったことはあるのですが、今回のように泊まって街をゆっくり歩いたのは初めてだったので、いろいろな発見ができました。もっとも不思議だったのが、JRの駅がないのに、なんであんなでかい繁華街が形成されたのかってことでした。街の賑わいぶりは新宿や渋谷に負けず劣らずでしたし、新宿や渋谷は腐るほどいっているので多少混雑していてももう驚かなくなりましたが、夜の六本木のあのパワーはどこから湧き出てくるのか?!とそれで圧倒されましたし、なにせ外人さんがやたらと多い。これは一体なぜなんだろう?


 日曜日、新国立美術館の前で「六本木まつり」が行われていて、そこの会場に六本木の歴史をまとめたちょっとしたパネルが展示されていました。それによると、戦前に軍関係の施設があって、戦後防衛庁が建って…ということが書いてありました。おおよそ、軍関係で伸びた街なのかぁ、とか思っていましたが、かえってきてからネットで調べてみると、だいたいこんな感じでした。


 江戸時代には大名屋敷があった屋敷町でしたが、明治時代に歩兵第一連隊と歩兵第三連隊が置かれ、「兵隊の町」となりました。第一連隊が今の東京ミッドタウン、第三連隊が国立新美術館で2・26事件にも関与していました。まだこのころは今のような繁華街とはなっていなかったようです。


 戦後、歩兵第一連隊と歩兵第三連隊の敷地が米軍に接収されました。ここから、米兵を相手する飲食店が次々と出現するようになります。これが六本木が外人さんが多いという「原点」となっているようです。米軍がいなくなったあとは、防衛庁庁舎や東大の研究施設として使われました。そしてテレビ朝日がやってくると、芸能人やその関係者も六本木に集まるようになり六本木は繁華街として成長していくようになっていきます。そして地下鉄日比谷線の開業によりより人が集まりやすくなった、ということみたいです。だいたい、繁華街としての六本木の始まりは昭和30年代くらいみたいです。


 ふっと歩いていると東京タワーが目の前に見えたり、外人さんがぞくぞくと集まりはじめているのをきょとんとしてみていると、そこにはフランシスコ会の教会があったり、かと思えば戦後すぐに建てられたような古い木造家屋が残っていたり、街はそんなに広くないので徒歩でも十分いろいろ見てまわれるし、私としては東京の中でも案外居心地のいい部類の街でしたねー。夜が昼みたいにガンガンにぎやかで、昼が夜っぽくなんとなく静かだったのは、やっぱり繁華街なんだなー、と面白さも感じました(^-^)