「涙が止まらない放課後」の憶測

 浮かれている紺野ヲタ界隈以外の各方面から、批判轟々の娘。の新曲「涙が止まらない放課後」。センターパートが音取れていない、バックパートはダンスのみでコーラスすらないなんてどういうことだ、俺が涙が止まらないよ…と言われている方々各所多数。しかも楽曲自体は今どきはやらないミドルテンポの歌謡曲風。一体どうしてこのような曲が新曲として浮上してきたのでしょうかねぇ?

 これは私の憶測なのですが、今回の新曲は初めから「紺野あさ美ありき」であったのではないかと思うのです。それで楽曲もイメージ的に紺野さんのイメージに近いものをつくり、各方面に発注したのではないかと。だけど紺野さん一人でピンのセンターは心許無いので、比較的イメージの近いシゲさんをまずもってきて、さらに現センターである利華ちゃんとミキティも補強として加え、4センターにしたのではないかと思うのです。
 ではなぜ「紺野あさ美ありき」なのでしょうか。それは辻加護卒業後、石川藤本高橋以外でももっとセンターとして活躍できる人の発掘として、まずは紺野さんとシゲさんに白羽の矢が当たったのではないかと思います。紺野さんに関しては、5・6期写真集でもトップを切っていることですし、将来的にはそういう活躍を期待されているかもしれませんけど。
 楽曲に関しては、非常に音の取りづらい、難しい曲ではないかと思うのです。アレンジはそんなに厚くしていないし、メロディーラインはインターバルが結構多いですし、しかもミドルテンポなので勢いでごまかしがきかない。しっかりと音をとって歌わないと、すぐアラがみえてしまう。
 歌が決してうまいといえない二人にわざわざこの楽曲にしたのは、大先生が紺野さんとシゲさんに与えた試練なのではないでしょうか。初センターパートをあげるから、歌もしっかり修行し練習せい!みたいな。
 そういろいろ考えているうちに、この曲は目先の売上云々で作られたものではなく、もっと先を見越しての壮大な考えの一部なのではないのか、と思ったりもしてきました。そういう壮大なことを考えるのもいいですが、所詮は商業音楽なわけですから、売れてもらわなければ困るわけであり、その理想と現実のギャップの差をどこまで埋めることができるかが、この楽曲のそれぞれ個人の支持度になっていくのではないでしょうか。