「その時歴史が動いた」私的メモ
- 徴兵令、秩禄処分、廃刀令と続き、サムライの不満は積もっていった。
- サムライの不満は、佐賀の乱、神風連の乱、萩の乱と続くが、どれも政府軍に簡単に制圧されてしまう。
- そんな中、鹿児島で弾薬庫から新政府側が弾薬をこっそり持ち出そうとする事件*1が起こり、私学校生徒らが、暴発する。
- そのとき、西郷は「しまった」*2と言った。
- 血気盛んな私学校生徒らは、新政府打倒のため西郷を担ぎ出す。
- 西郷は薩軍を率いて上京する。途中の田原坂で政府軍と対決。
- 農民町民徴兵中心の政府軍では、決死の覚悟でくる薩軍には太刀打ちできなかった。「越すに越されぬ田原坂」
- 政府首脳からは士族を使え(岩倉)とまでいう意見もでる。それでは徴兵の意味が瓦解する。
- そこで山県は志願していた警察官を「抜刀隊」として前線に送る。彼らのほとんどは旧武士だった。
- 抜刀隊は、早朝の油断している薩軍を襲って次々と薩軍を陥れた。
- 抜刀隊の中には、旧会津藩士の小隊もあった。「戊辰遺恨」
- これ以降、軍隊には「士気」の高揚が不可欠であるとなり、武士道精神をそのままもってきた。数百年続いた伝統は、そう消えるものではなかった。また薩軍が西郷を絶対的なカリスマとみていたことから、政府軍のカリスマを天皇へと仕立てることにした。→これらが太平洋戦争へと続く旧日本軍の精神の源流なのですね。